第三章・世界の時代 連載 第五十九話 マッキントッシュという衝撃
マッキントッシュという衝撃
北米担当に、小林さんという人がいた。
東出さんと並んで、北米向けの仕事を支えていた一人である。北米市場は当時の日産自動車にとって最大の輸出先であり、台数の規模も大きかったから、北米担当には複数の人手が必要だった。小林さんは、その北米班の中で、若手寄りの席に座っていた。年齢は、自分より少し上だったか、あるいは同世代だったか。歳の差は大きくなかった。
ある時期、小林さんが米国の大学に短期留学する話が、フロアの中で持ち上がった。
海外向けの仕事をしていながら、現地の空気を直接吸ったことがない——それは、当時の本社の若手の多くが抱えていた不全感だった。北米向けの台数を毎日扱っていながら、北米のディーラーの店内を歩いたことがない。海外のお客様の顔を、直接見たことがない。机の上の数字と、現地の生活とのあいだに、いつも距離があった。会社が、その距離を縮めるために、若手を米国に送る制度を始めたのだろう。小林さんは、そういう派遣の対象に選ばれた一人だった。
数か月、小林さんは米国にいた。
その留学のあいだ、フロアでは小林さんの仕事を、東出さんを中心に、北米班全体で分担していた。当然、東出さんの机の上は、いつにも増して忙しくなる。それでも、東出さんはニコニコと、いつもの調子で、増えた仕事を捌いていた。「小林の分まで、しばらく預かるよ」——そう言って、にこやかに机に向かう東出さんの姿を、自分は何度か見ていた。
そして、ある日、小林さんが帰ってきた。
米国での数か月の滞在を終えて、フロアに戻ってきた小林さんの表情には、何かが変わっていた。日に焼けて、少し痩せて、しかし、それ以上に、目の中に何かが宿っていた。「ちょっと、これを見てくれませんか」——帰国挨拶の翌日くらいだったか、小林さんは、自分の机の上に、何やら小さな機械を置いた。
四角い、ベージュ色の、不思議な形の機械だった。
本体の前面に、小さな画面が埋め込まれている。画面の脇に、何か挿入口のようなものがある。本体の手前には、ケーブルでつながった四角いキーボードがあり、もう一つ、丸みを帯びた小さな箱のようなものが、ケーブルでつながっていた。あの丸みを帯びた箱が「マウス」と呼ばれるものだとは、その時の自分は、まだ知らなかった。
「マッキントッシュ・プラスです」と、小林さんは言った。
マッキントッシュ。それまで、その名前を、自分は新聞か雑誌の隅で、何度か目にしたことがあった気がする。アメリカで、何やら新しい計算機が出ているらしい——その程度の認識だった。フロアのオフコンとも、家電量販店で売られていた当時のパソコン類とも、何かが違うらしい——というくらいの、漠然とした印象しかなかった。
その機械が、今、自分の机の上に置かれていた。
小林さんは、機械の電源を入れた。
本体の前面のスイッチを押すと、画面に小さな絵柄が浮かび上がった。画面は白い。文字も絵柄も、黒で表示される。当時のオフコンの画面が、黒い背景に緑色の文字を浮かべていたのと、まったく逆の配色である。白地に黒——紙とインクの関係を、画面の上で再現したような表示だった。あれを見た瞬間、自分の中で、何かの予感が動いた。
「フロッピーディスクに、表計算ソフトを入れてあります」
小林さんは、そう言って、薄くて四角い板状のものを、本体の挿入口にすっと入れた。あれが、フロッピーディスク——FD——というものか。当時、フロアの誰もが、あの薄い板状の記憶媒体を、まだ見慣れていなかった。オフコンの記憶装置は、もっと大きな、磁気テープのリールだった。それが、こんなに小さな板に変わっている。世代が、すでに一つ飛んでいた。
機械が、軽い音を立てて、ディスクを読み込み始めた。
数秒の後、画面に表が現れた。縦と横にマスが並んでいる。最初は、何もマスに書き込まれていない、空の表である。そこに、小林さんはマウスを動かして、特定のマスをクリックして、数字を入れていった。「ここに、五十、と入れて——」「次のマスに、八十、と」——彼の手の動きは、すでに慣れていた。短い数か月の留学のあいだに、彼はこの機械を、自分のものにしていた。
そして、横の総計のマスに、計算式を入れた。
「これで、横の合計が、自動で出ます」——小林さんは、Enterキーを押した。瞬間、計算式を入れたマスに、数字が浮かんだ。「百三十」——五十と八十の合計が、機械の中で計算されて、画面に現れた。マスに数字を入れ直すと、総計の数字も、自動で更新された。マスの一つを書き換えるだけで、表全体の数字が、瞬時に動く。
自分は、画面を見ながら、息を呑んでいた。
小林さんは、もう少し大きな表を、画面に呼び出した。
縦に何十行、横に何十列のマスが並んでいる。中近東向け生産マトリックスの、ちょうど一つ分くらいの規模だった。「これくらいの表でも、瞬時に計算できますよ」——彼は、マスのいくつかに、新しい数字を入れていった。一つマスを変えるごとに、縦の集計、横の集計、そして全体の総計までが、画面の上で次々と更新されていった。
あの瞬間、自分の中で、何かが崩れた。
何日も徹夜を重ねて、二万のマスを電卓で叩き、縦と横の数字が合わずに苦しみ、係長の名人芸でようやく一発で当てる——あの一連の作業が、目の前の機械の中では、わずか数秒の動作で完了してしまう。マスの一つを書き換えても、縦も横も総計も、自動で連動して動く。「合わない」という事態が、原理的に起こりえない。
これは、革命だった。
いや、革命という言葉では、まだ足りなかった。革命とは、人間が起こすものである。これは、機械が、人間の仕事の根本を、丸ごと作り替えてしまう瞬間だった。年度計画の徹夜は、もう必要なくなる。係長の名人芸も、もう要らなくなる。電卓を叩いて二万のマスを集計する仕事は、ある日突然、過去のものになる。それを、自分は、机の上の小さな画面の中で、はっきりと予感していた。
本当に、ショックだった。
頭の中で、いくつかの感情が同時に走っていた。一つは、この機械の凄さに対する、純粋な驚き。一つは、これまでの自分たちの仕事のしかたが、ある日突然、不要になるかもしれないという、漠然とした不安。一つは、しかし、この機械を使えば、自分はもっと別の仕事ができるかもしれないという、新しい予感。三つの感情が、画面の上の数字の動きを見ながら、自分の中で同時に立ち上がっていた。
機械の仕様を、小林さんは、嬉しそうに説明してくれた。
本体の内部メモリは、たしか一メガバイト。今の感覚でいえば、一通の長い手紙が辛うじて入る程度である。記憶媒体のフロッピーディスクは、容量八百キロバイト。機械の内部メモリよりも、外付けの記録媒体のほうが、容量が小さい時代だった。当時、ハードディスクという外付けの大型記憶装置が、ようやく一般に出回り始めていた。容量は十メガバイト。それでも、十メガバイトは「とても大きくてビックり」する容量で、フロアの誰もが、その値段の高さに驚いていた。
今となっては、おとぎ話のような数字である。
いま、自分のスマートフォンには、数百ギガバイトの記憶領域がある。あの当時の十メガバイトの、何万倍の容量である。当時、十メガバイトの容量に驚いていた自分たちが、今、ポケットにその何万倍の機械を入れて持ち歩いている。半世紀のあいだに、機械の中の記憶の規模が、これだけ変わった。
しかし、規模の変化よりも、本質の変化のほうが、深かった。
本質とは、人間と機械の関係である。あの当時までは、機械は人間の補助だった。電卓は、人間の指の延長だった。オフコンは、人間の事務作業の一部を、機械に肩代わりさせる装置だった。しかし、マッキントッシュは違った。あれは、人間の知的作業の核心を、機械の側に移してしまう装置だった。机の上の表を「組む」という作業の本質が、人間の手から、機械の中の計算式へと、静かに移譲されていく——その入り口が、あの一台の機械だった。
小林さんの席のまわりには、その後、しばしば人だかりができた。
フロアの若手たちが、入れ替わり立ち替わり、小林さんの机の上のマッキントッシュを覗きに来る。誰もが、一度画面を見ると、しばらく黙ってしまう。そして、自分と同じ感想を口にする——「これは、すごい」「これは、何かが変わる」。年配の先輩たちの中には、最初から関心を示さない人もいた。「自分は電卓でやってきたから、これからも電卓でやる」——そういう人も、いたにはいた。
しかし、若い自分は、関心を示さずにはいられなかった。
この機械は、いずれ、自分の机の上にも来る。そのときに、慌てて学ぶより、今のうちに、少しでも触れておきたい。小林さんの机を訪ねるたびに、自分は、何かしらの操作を一つ覚えて、自分の席に戻っていった。マウスの動かし方、マスのクリックのしかた、計算式の入れ方、印刷の出し方——一つずつ、指で覚えていった。
あの時、自分の中に、ある決意のようなものが生まれていた。
「この機械を、自分のものにしよう」——それが、当時の自分の、漠然とした、しかし、強い決意だった。会社が支給するのを待っていたら、何年先になるか分からない。だったら、自分で買おう。給料を貯めて、いずれ、自分の机の上にも、このマッキントッシュを置こう。あの日、小林さんの席で芽生えたあの決意が、その後の自分の人生を、何度も決定的に変えていくことになる——そのことを、当時の自分は、まだ知らなかった。
あの一台のマッキントッシュ・プラスとの出会いが、自分の人生の中の、いくつもの場面の起点になった。
のちに、妻が亡くなったとき、彼女の手記を残そうとして、自分はマッキントッシュとレーザープリンターに向かうことになる。その時に、机の上で文字を打っていた手の動きの源は、たぶん、E03のフロアで小林さんに見せてもらったあの日に、すでに芽生えていた。さらに後年、国内営業に異動したとき、本社電算課のPC化方針に真っ向から反対して、自費でマッキントッシュを部署に入れ、受注表から生産オーダーまでの一連の作業を機械化することになる。直納部という現場で、少ない人数で、それを花開かせることになる。
これらの未来は、すべて、あの一台のマッキントッシュ・プラスから始まっていた。
小林さんが米国の大学から持ち帰った、あの不思議な形のベージュ色の機械——あれが、自分のその後の三十年、四十年を、静かに方向づけていた。本人は、それを「ちょっと面白い機械を見せようか」くらいの気持ちで、机の上に置いてくれただけかもしれない。しかし、若い自分にとって、あの一台は、人生の方位磁針が一度動いた瞬間でもあった。
時代の変化とは、たぶん、いつもこのような形で訪れるのだろう。
大きな宣言や、立派な式典の中ではなく、フロアの一隅の机の上に、ある日、ふっと置かれた小さな機械の画面の中に、それは始まっている。気づく者だけが気づき、気づかない者は素通りする。気づいた者の人生が、その日を境に、静かに変わっていく。あの日の自分は、運よく、気づく側にいた。
電卓の王様の時代が終わり、机の上に小さな白い画面が広がる時代が始まった——その境目に、自分は立っていた。